昨日、宮城県亘理郡山元町に行ってまいりましたので、以下にご報告申し上げます。
<気仙沼市セコー学院の支援物資>
“セコー学院の支援物資は、充分量に達した。”と御連絡をいただきましたので、物資支援は一時中止とさせていただきます。ただ御縁ですので、いつでも先方がお困りの時には、支援開始と御承知おき下さい。
<山元町に関する御報告>
4月20日(水)宮城県亘理郡山元町の齋藤俊夫町長と町民生活課課長の平田篤司様にお目にかかりました。
1) お目にかかった役場庁舎そのものが、震災影響で支柱等に損傷があり、余震で倒壊の可能性があるとのことで、一階ロビーを急ごしらえの事務所ならぬ事務スペースを確保していらっしゃいました。いずれ仮庁舎建設予定の由。
2) 山元町はかつて「東北の湘南」と言われ、台風さえも避けて通る災害に無縁の地だったそうです。
① リンゴとイチゴの2大ブランド及び、ホッキ貝が主産業であったのですが、それも全て消失。
② 東西5km・南北11kmの65k㎡の地が津波で25k㎡を消失し、可住地も62%が被災。
③ 町長御自身も、昨年新築の家が津波で消失、課長は津波で奥様を亡くされた被災者でもいらっしゃいます。
3) 今後の展望・御要望
① 今後はゼロどころか「マイナス」からの町作りをしなければならない。かつて白砂青松であった海岸線が壊滅的被害(消失)。
② 町作りは再生ではなく、新しい町を新しい土地に作る。その後、現在22である部落(村落)をまとめ直す考えも。何故ならそれぞれの集落の人口が減っているので。
③ 4月28、29日には仮説住宅建築の予定。
厚労省災害援助法に基づき、仮設住宅には日赤から家電6点セット(冷蔵庫・洗濯機・テレビ・炊飯器・電気ポット)が贈られるが、自力で家を再築する方々には対象外故に、その方々へ6点セットに類する家電セットの支援を。
④ 車社会であったが、殆ど車が消失。
一次産業従事者の足の確保のため、軽トラックや軽自動車の支援を。
⑤ 現代社会に於いて、若い世代にPC必須。
以上への対応を早急に着手いたします。既に4月20日夜(帰京後)、落合良副責任者、赤松良子顧問には了解を得ました。
4月22日盛岡に参りますので、その対策・対応を併せ、赤松・落合・堂園の3人で4月23日に集まり、より具体的に協議いたします。
年令・性別・職業・国政を越えて、縁のある人々が支え合う、これこそが真の友情の始まりで、継続することで、固い絆が結ばれるのではないでしょうか・・・
とり急ぎの御報告にて、乱文をお許しください。
なお、4月21日16:00現在で 1,037,013円のお振込みをいただいております。
今夜の夜行バスで盛岡に向かいます。



役場庁舎 亀裂入り



左)町長 齋藤俊夫氏 中)堂園 右)町民生活課課長 平田篤司氏
手にした地図の黄色部分は津波のため消失

ボランティア受付(福祉協議会内)にあった神戸からの応援メッセージ

津波で壊滅した土地/松林の向こうは太平洋


帰路

蔵王の雪景色
RKH責任者 堂園凉子