昨日4月28日は、3月11日に起きた大災害(地震・津波・原発事故)で犠牲になられた方々の49日法要の日でした。ここに御冥福をお祈り申し上げます。

さて、その後のRKHの活動について御報告申し上げます。

1)山元町からの御要望の軽自動車ですが、静岡スバル自動車株式会社の御協力により、軽トラック3台を連休明けにお届け出来ることになりました。(後日写真掲載)

2)株式会社T Companyが御寄贈下さった医療用ヘッドランプ “Clear View”2器を岩手県の医療に御活用いただくべく、同期医師に託しました。

3)株式会社世界文化社から御寄贈いただいた男性用ソックス400足と吉野ファミリーからの御寄贈女性用ソックス400足及び子供用ソックス100足をボランティアの井出様とご友人が山元町まで届けて下さいました。

今後は皆様に軽トラックのハンドル代やタイヤ代、あるいはサイドミラーやバックミラー代としての御支援・御協力をお願い申し上げます。

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株式会社T Company御寄贈の医療用ヘッドランプ

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株式会社世界文化社よりの男性用ソックス

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吉野ファミリー御寄贈の女性用ソックスと子供用ソックス

 
RKH責任者 堂園凉子




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2011.04.29 Fri l 報告 l top
4月23日夜、赤松・落合・堂園のMeetingでの協議・決定事項。
 
 1)宮城県亘理郡山元町:

① 一次産業である農業(イチゴ、リンゴ等)、漁業(ホッキ貝等)再会のため足の確保が必須で、軽自動車(トラック、バン)の調達支援

② 仮設住宅には、日赤から家電6点セット(冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、電子レンジ、電気ポット、TV)が無償提供されるが、自力で再築の方々は対象外なので、その方々にRKH家電セットを調達

 2)岩手県:盛岡在住の堂園の同期医師を通して、地元医療の自力での自立支援

 3)福島県:堂園の友人ナースからの依頼に応じ、随時支援体制を構築
 


RKH責任者 堂園凉子



2011.04.25 Mon l 報告 l top
4月23日夜(RKH設立後12日目)赤松、落合、堂園が集合し、今後の活動について協議、確認いたしました。

この3人は、1995年、阪神淡路大震災時にも「サポート神戸]設立後2週間目に集まっており、運命を感じずにはいられません。

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写真左:1995年2月撮影 中央:赤松、右:落合、左:堂園
写真右:2011年4月23日撮影 中央:赤松(81歳)、右:落合(75歳)、左:堂園(64歳)


当時60代、50代、40代だった我々3人は16年を経て80代、70代、60代となり、流石に最後の活動と心得ます。

従いまして、今回の活動は、「若い世代の啓蒙・育成そしてバトンタッチ」(赤松は行政・官僚分野、落合は企業分野、堂園は医療分野)もMissionと御承知おき下さい。

具体的な内容は追って御報せ申し上げます。

RKH責任者 堂園凉子


2011.04.24 Sun l 報告 l top
421
東京駅2330発ドリーム盛岡3号で一路盛岡へ。
(出発直前、茨城の地震情報で運休になるのではと案じましたが)
 
422日 
715盛岡着(途中震災による影響での道路状況のため)
同期医師の御協力で、大槌町及び釜石市の一部を視察してまいりました。
 
両現場とも山元町(宮城県亘理郡)と同様、“夢を見ているのでは?”と錯覚するような非現実の世界でしたが、山元町の静寂とは異なった音のある世界で、“きっと立ち直られるに違いない”と確信出来る、秘めたるエネルギーを感じました。
 
1424 盛岡発の秋田新幹線に始まり、羽越本線、上越新幹線とJR東日本の東北ルートを駆使して盛岡~秋田~新潟~東京と東北地方をひと回りし、2320自宅着。
 
<視察の感想に基づく今後の展望>
 
1)盛岡地区周辺に関しては、今回御協力いただいた同期医師の御判断にお任せし、地元医師の方々の御活動に支障を来たさぬよう御要請をいただいた時点で医療中心に後方支援させていただく。

2)あくまでも地元の医師の方々(ことに開業医の方々)の自立、自己完結に向けての御協力。

3)12)に於いて上手くシステム作りができれば、今後の若い世代の医師(ことに研修医)の教育改善が可能になるかもしれない。


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↑この想定区域を超えて津波は押し寄せた。

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↑大槌町に行く途中で

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↑大槌町

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↑大槌町

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↑大槌町(津波に加え火災発生)

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↑大槌町(防波堤を越え陸に上がった舟)

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↑大槌町(倒壊家屋)

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↑壊滅的被害を受けた県立大槌病院

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↑大槌町

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↑大槌町

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↑大槌町から釜石へ行く途中
信号はまだ停電のため機能せず

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↑大槌町から釜石へ向かう途中の大きな交差点でも信号機能
せぬため警察官の手信号

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↑帰途
このあと盛岡~秋田~新潟~東京と運行中のJR東日本を駆使
して帰京



RKH責任者 堂園凉子






2011.04.23 Sat l 報告 l top
昨日、宮城県亘理郡山元町に行ってまいりましたので、以下にご報告申し上げます。

<気仙沼市セコー学院の支援物資>

“セコー学院の支援物資は、充分量に達した。”と御連絡をいただきましたので、物資支援は一時中止とさせていただきます。ただ御縁ですので、いつでも先方がお困りの時には、支援開始と御承知おき下さい。


<山元町に関する御報告>

4月20日(水)宮城県亘理郡山元町の齋藤俊夫町長と町民生活課課長の平田篤司様にお目にかかりました。

1) お目にかかった役場庁舎そのものが、震災影響で支柱等に損傷があり、余震で倒壊の可能性があるとのことで、一階ロビーを急ごしらえの事務所ならぬ事務スペースを確保していらっしゃいました。いずれ仮庁舎建設予定の由。

2) 山元町はかつて「東北の湘南」と言われ、台風さえも避けて通る災害に無縁の地だったそうです。

① リンゴとイチゴの2大ブランド及び、ホッキ貝が主産業であったのですが、それも全て消失。

② 東西5km・南北11kmの65k㎡の地が津波で25k㎡を消失し、可住地も62%が被災。

③ 町長御自身も、昨年新築の家が津波で消失、課長は津波で奥様を亡くされた被災者でもいらっしゃいます。

3) 今後の展望・御要望

① 今後はゼロどころか「マイナス」からの町作りをしなければならない。かつて白砂青松であった海岸線が壊滅的被害(消失)。

② 町作りは再生ではなく、新しい町を新しい土地に作る。その後、現在22である部落(村落)をまとめ直す考えも。何故ならそれぞれの集落の人口が減っているので。

③ 4月28、29日には仮説住宅建築の予定。
厚労省災害援助法に基づき、仮設住宅には日赤から家電6点セット(冷蔵庫・洗濯機・テレビ・炊飯器・電気ポット)が贈られるが、自力で家を再築する方々には対象外故に、その方々へ6点セットに類する家電セットの支援を。

④ 車社会であったが、殆ど車が消失。
一次産業従事者の足の確保のため、軽トラックや軽自動車の支援を。

⑤ 現代社会に於いて、若い世代にPC必須。

以上への対応を早急に着手いたします。既に4月20日夜(帰京後)、落合良副責任者、赤松良子顧問には了解を得ました。
4月22日盛岡に参りますので、その対策・対応を併せ、赤松・落合・堂園の3人で4月23日に集まり、より具体的に協議いたします。

年令・性別・職業・国政を越えて、縁のある人々が支え合う、これこそが真の友情の始まりで、継続することで、固い絆が結ばれるのではないでしょうか・・・

とり急ぎの御報告にて、乱文をお許しください。
なお、4月21日16:00現在で 1,037,013円のお振込みをいただいております。

今夜の夜行バスで盛岡に向かいます。

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役場庁舎 亀裂入り

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左)町長 齋藤俊夫氏 中)堂園 右)町民生活課課長 平田篤司氏
手にした地図の黄色部分は津波のため消失

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ボランティア受付(福祉協議会内)にあった神戸からの応援メッセージ

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津波で壊滅した土地/松林の向こうは太平洋

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帰路

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蔵王の雪景色


RKH責任者 堂園凉子



2011.04.21 Thu l 報告 l top