【 後編 】
 <3>いよいよ船上へ

1)私が参加した
21日は、今回の企画を御許可下さった石巻市長の亀山紘様もお越しになられたので、亀山石巻市長、三井造船株式会社社長加藤泰彦様と御一緒に、私も御乗船の方々をお迎えいたしました。(写真1~2)
 
2)その後石巻市長のお話を伺いましたが、“ガレキの撤去に100年を要するであろう”とのコメント。被災現場のガレキの山を知る私は、大いに共感。(写真3)
 
3)ハイテクの運航室も見学させていただきました。
石巻市長との約束で「沖に停泊中の自衛艦からの津波情報をキャッチ後7分以内に出航出来るようにいつも臨戦体制」と船長が話して下さいました。(残念ながら写真なし)
 
4)船内は2005年完成後、一度も使用されなかったとは信じられぬ程の立派さ、華麗さで、“いつでも出航出来るよう”6年間維持管理していらしたことが良く判り、三井造船株式会社(以下MES)に敬服いたすと共に、この船TSLのためにも“今回の出番をどんなに嬉しがっていることか”と感激いたした次第です。
 
5)今回の企画実行運営のために、MESの社員の方々のみならず青年会議所(JCI)のメンバーも全国からボランティアで参加。
どなたもが“明るい笑顔・しかし多弁にならず気配りは万全”という接遇マナーで御乗船の皆様もほっとし、和やかな表情とお見受けいたしました。
因みにこの日は、生後3週間の赤ちゃん(421日誕生)から御高齢の方々まで180人の参加(写真4~5)
 
   6)お食事は木下シェフが心配り溢るるメニューで、バイキング形式の夕食・朝食(写真612
 
   7)皆様が集うサロンにはMESの各事業所の方々からの応援メッセージの寄せ書きや、今回の企画に御参加・御協賛品のリストがあり、多くの善意の集大成で実現した企画であると、深い感動を覚えました。(写真1322
 
   8)さらに感動的なエピソードです。
この応援メッセージや御協力・御協賛提供リストを御覧になった皆様から、“我々も御礼のメッセージを書きたい”とのお申し出によって急遽設置されたコーナーがありました。
      メッセージを書かれる方々のお姿を拝見し、メッセージを拝読して、政府・国や関係者の協議・検討はどうであれ、実際にこうして人と人とが地方行政や民間の壁を越えて、心を交わせていると実感し、必ず“復興・再生・新生”の日は訪れると確信し、又訪れさせねばならないと改めてRKH活動の意義を確認致しました。(写真2335
 
<4> 船医活動
1)船内には健康管理室と表示された医務室があり、24時間体制でナース常駐。
土・日のみ、船医として私が参加した訳ですが、幸い御乗船の方々にとってはこの企画が“転地療養”効果につながったのか、大禍なく過ぎました。
 
2)ただ、515日岡山県玉野市を出航して以来、御乗船の方々のために、不眠不休に近い状態で誠心誠意貢献しているスタッフの方々の健康管理が気になり、医務室転じて保健室的雰囲気で、鍼治療や栄養注射の医療行為を主業務として実施いたしました。(写真3638
 
3)28日~29日は後輩の後藤哲也医師に船医の任務を託します。
 
<5> 終わりに
   今回の企画が一回限りでなく、各企業がお手本にして同じ方式で継続すればと期待して止みません。又、このテクノスーパーライナー(TSL)にとって、この処女航海が最後の航海にならぬようただただ祈るのみです・・・
 
   さて、この御報告の前編に記したオレンジ色のリュックサック、何とTSLのクルーの方々のキャップ(帽子)の色が同じオレンジ色でしたので、此度の参加、“人生に偶然はなく全て必然”と納得いたした次第です。
 
 
528日(土)はセブンイレブン記念財団常務理事山口積恵様と山元町へ行き、既に26日に町役場に到着しているRKH家電7点セットの引渡しと、納入済み軽トラック4台(ニッサンクリッパー、スバルサンバー)に対面して参ります。

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↑(1)
左奥(青い服の男性):石巻市長亀山紘様/中央(白い服の
男性):三井造船株式会社社長加藤泰彦様/右:堂園
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↑(2)
市長のお出迎えとあってビックリしつつお喜び
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↑(3)
左から:加藤様/市長亀山紘様/堂園/ボランティアくみ様
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↑(4)
JCIの皆様
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↑(5)
JCIの皆様(奈良から御参加)
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↑(6)
レストランリーダー
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↑(7)
木下シェフ
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↑(8)
木下シェフとボランティア
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↑(9)
朝食
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↑(10)
朝食
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↑(11)
朝食
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↑(12)
朝食
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↑(13)
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↑(14)
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↑(15)
※(16)大分事業所の方々のメッセージ撮影し損ねました
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↑(17)
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↑(18)
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↑(19)
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↑(20)
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↑(21)
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↑(22)
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↑(23)
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↑(24)
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↑(25)
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↑(27)
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↑(28)
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↑(29)
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↑(30)
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↑(31)
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↑(32)
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↑(33)
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↑(34)
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↑(35)
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↑(36)
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↑(37)
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↑(38)


以上 RKH責任者 堂園凉子

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2011.05.29 Sun l 報告 l top
遅くなりましたが、先週末(521日~22)宮城県石巻港に停泊中の三井造船株式会社所有のテクノスーパーライナー(TSL)船医体験を御報告申し上げます。
正味19時間の任務でしたが、密度の濃い内容でしたので、前編/後編と二回に分けさせていただくことを御承知おきください。
 
【 前編 】
<1>石巻港に到達するまで;
 
521日、此度も東北新幹線を利用して仙台まで(今や立派な鉄道ファン、所謂鉄ちゃんなり鉄子です)
 
仙台駅で三井造船株式会社の方と待ち合わせ。
目印に「オレンジのリュックサック」を背負って行きましたが、これが“なんたる偶然”という話に後編でつながりますので、お楽しみに。
 
 車で石巻港へと向かいましたが、道中(高速道路上)“災害支援”とたれ幕がある自衛隊のトラックに次々とすれ違い、山元町や大槌町と同じように2ケ月と2週間経った今も復旧には程遠い東北全体の被災を実感。
 
 途中には土葬の場あり、(それぞれの埋葬個所に花が手向けられていて感謝)、遺体安置所であったテントあり、ガレキの山や、倒壊家屋ありで、政治のトップの方々は私費(身銭)で被災地視察をなさるべきと切に実感・・・。
 
 とはいえ、地割れした岸壁に接岸しているTSLが目の前に近づいてきたので、気持ちを切換えることにいたしました。
 
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↑埠頭に行く途中の遺体安易所のテント

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<2> TSLのこと、そして乗船まで;
 
 このTSL(テクノスーパーライナー)は超高速大型貨客船で、国策として開発され、約115億円を投じて2005年に完成し、小笠原海運が東京と小笠原を結ぶはずだったのですが、原油高騰で一度も就航することなく、最悪の場合はスクラップも想定していたとのこと。
 
 今回、製造元の三井造船株式会社の岡山県玉野市にある造船所から約2日間かけて石巻港(正式には石巻工業港)の日動埠頭まで処女航海。
 避難所だけでなく、自主避難している方々にもシャワーやお食事を提供という企画で、一泊2日の動かない船旅にて、私が船医の役目を仰せ付ったという次第。
 上記エピソードを知るだけに、その船が身近にあるということで感動し、年甲斐もなくデッキ下で記念写真を撮っていただいてたのですが、本来私が使用すべきデッキの上で私の到着を待っていて下さったらしい方々がいらしたのに後で気付いて、赤面の至りでした。

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↑TSL航行中の姿

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↑後方デッキ上に私を待って下さる方々



なお、後編は後日アップいたしますので、今しばらくお待ちください。

RKH責任者 堂園凉子
 




2011.05.28 Sat l 報告 l top
1)5月20日、山元町町長とお目にかかり、4月20日軽トラック調達をお約束してから1ヶ月目にその第一号が山元町に到着!!
日産ユーズドカーセンターの御協力(所長 外島様)により
傳田様が陸送費節約で自ら運転して届けて下さいました。
今週中には静岡スバル自動車株式会社からの3台も山元町に届きます。

2)5月20日夜、国際文化会館に赤松・落合・堂園が集合し、以下を確認いたしました。
大槌町の医療充実のため、6月に出来上がる岩手県立大槌町病院仮設診療所と仮設住宅間の足の確保目的でマイクロバス調達。

3)5月21~22日の三井造船株式会社所有のテクノスーパーライナーの船医体験は、余りにも膨大な量のため、後日とさせていただきます。

4)5月27日、RKH家電7点セットが山元町に搬入決定いたしましたので、5月28日、調達に御尽力下さいました、セブンイレブン記念財団常務理事の山口積恵様及び株式会社イトーヨーカ堂住居事業部部長の金竹様と山元町に行ってまいります。

RKH責任者 堂園凉子



  ※以下の写真②~⑦は日産ユーズドカーセンター傳田様撮影

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↑ ①5月20日、赤松、落合、堂園

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↑ ②日産クリッパートラックと山元町役場大和田様

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↑ ③同上

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↑ ④階段だけが残っている坂元駅

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↑ ⑤中浜小学校校舎

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↑ ⑥中浜小学校校庭
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↑ ⑦常磐山本自動車学校 校舎







2011.05.24 Tue l 報告 l top
1)5月18日(水)今回は深夜バスではなく、東北新幹線“はやぶさ”利用で大槌町へ行ってまいりました。
 
先ず、3月5日開通後わずか6日目で運休となっていた“はやぶさ”の車体の「つなげよう日本」というメッセージに感動。
JR東日本の熱意に基づいた運転再開のための必死の努力に感服せずにはいられませんでした。
 
さて大槌町では仮設住宅及び岩手県立大槌病院の仮設診療所の建設が同時進行で行なわれていました。
ただ、仮設住宅と仮設診療所の距離は約7kmあり、ことに御病気を抱えた御高齢者にはとても歩ける距離ではなく、“これは足の確保が必須”と実感いたした次第です。
 
町は、前回4月20日訪問時よりはガレキ撤去が進んだものの(私の感想ではやっと30~40%)まだまだ“日暮れて道遠し”という気がしてなりません。
 
続いて、大槌病院が現在借用中の地での仮診療所訪問後、県立大槌病院院長の岩田千尋医師及びRKHの岩手に於ける活動窓口の堀内三郎医師と共に大槌町副町長の東梅政昭様とお目にかかり、仮設住宅~仮設診療所間を運行のマイクロバス調達を正式にお受けいたしましたので、御了承下さいませ。
(この件に関しましては5月20日、赤松・落合・堂園が集い、検討・決定致します)
 
2)既にTVや新聞でご存知の方もおありかもしれませんが、5月17日~31日、三井造船株式会社が所有のテクノスーパーライナーを有効利用して石巻市の被災者の方々に“1泊2日のくつろぎの時”を提供開始。
実は、三井造船株式会社の社長、加藤泰彦様とは“猪の会”という勉強会でお仲間ですが、“期間中の週末、医療相談という案は?”と御提示いただき、お受けいたしました。従いまして、5月21日~22日、私は石巻港停泊中のテクノスーパーライナーの船医という次第。終了後、御報告申し上げます。


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↑車中からの蔵王

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↑大槌町市街に入る前の地域に仮設住宅建設中

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↑仮設住宅

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↑仮設住宅

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↑仮設住宅から約7km地点 
  自衛隊駐屯地の横に仮設診療所建設中

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↑大槌町仮設診療所(小槌神社内ふれあいセンター使用)

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↑画像内目印地点まで津波

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↑ 左:RKH岩手地区窓口係 堀内三郎様
 中:岩手県立大槌病院院長 岩田千尋医師
 右;堂園
 
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↑ 左上:堀内様 右上:岩田様
 左下;堂園 右下;大槌町副町長 東梅政昭様

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↑町のガレキはまだまだ

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   RKH責任者 堂園凉子 






2011.05.20 Fri l 未分類 l top
 1)4月13日に口座開設して、今日で1ヶ月、以下を御報告申し上げます。
延振込人数:70名(4月、5月と御継続の方あり)
総額:2,641,013
残高:1,497,017
(スバル軽トラック及び家電7点セット代はまだ正式請求書が届いておりません)


2)岩手県立大槌病院関係者の方からの依頼です;
「壊滅的被害をうけた県立大槌病院は、現在“ふれあいセンター”にて外来診療中ですが、6月中に簡易外来診療所が開設出来る由。
ただ避難所等から診療所までの移動手段として小型バスがあれば御高齢の方々が助かるであろう。
災害医療でなく“ごく日常の”即ち今まで通りの医療を受けていただくことが理想で、そのためにも避難所等から診療所までのバス送迎は重要。もし小型バス(マイクロバス等)が2台程手に入れば、運転手はこの災害で職を失われたタクシー会社の運転手の方などに仕事を提供出来る。」
 
この案については、大槌町側も基本的に了解ということですので、518日、堂園が大槌町副町長(町長は今回の大災害による津波で亡くなられました)とお目にかかり、その後、赤松、落合氏と3人で協議の上、正式に御報告申し上げます。
 
因みに大槌町は、故井上ひさし氏の“吉里吉里人”の舞台になった町であり、かの“ひょっこりひょうたん島”はこの大槌町にある「蓬莱島」がモデルです。
 
RKH責任者 堂園凉子






2011.05.14 Sat l 報告 l top