211日の建国記念日は、東日本大震災発生より11ヶ月目でもありました。
例年にも増して厳しい寒さの2月、被災地の方々の日常生活は察するに余りありで、RKH山元町支部からは、“水道が凍ったり、水道管が破裂した”というエピソードも・・・
 
1)前回のブログの続き:
1.「サポート神戸」活動当時の東灘保健所課長から、今回のRKHの活動について頂戴したコメントを御紹介させていただきます。

0221_00k.jpg

2.前回お知らせした「赤浜の復興を考える会」のホームページ“やっぺす!赤浜”が活動開始、又、ピアノも28日無事吉里吉里に到着しました。
 
2)221 4か月半振りに山元町へ行ってまいりました。
1. RKH山元町支部の皆様と再会
東北新幹線で仙台下車、在来線の常磐線に乗り換え亘理駅に着くとRKH山元町支部の皆様が待っていて下さいました。皆様とは1119日の「3.11を共有し、語り合い、友情を深める会」以来、3か月振りの再会でしたが、まるで昨日も会っていたような不思議な心の繋がりを共有し、“これぞ、友情の深まり”と実感いたしました。(写真1)
0221_01.jpg
↑写真1

亘理駅には、津波後“エキナカ”ならぬ“駅ネコのクロ”が住みついていると新聞記事で知り、表敬訪問したのですが「出張中です」と表記されたホッキ貝の貝殻のみで残念(写真2)

0221_02.jpg
↑写真2

丁度昼食の時間帯だったので、念願のホッキ飯を賞味。
“今年は山元町のホッキ貝は津波被害で不漁のため北海道産使用”という貼紙あり。私はとても美味しくいただきましたが、山本町支部の皆様は“山元町のホッキはもっと肉厚で柔らかい”とのコメント。今から来年の山元町産のホッキ飯に期待いたします。(写真3.4)

0221_03.jpg 0221_04.jpg
↑写真
3.4

2. FMりんごラジオ訪問
14時過ぎ、りんごラジオを訪問、御挨拶のみのはずが急遽生放送出演。加えてたまたまその日りんごラジオを取材に訪れていた“津波余波”というフランスの動画番組の取材もお受けし、それこそ想定外の展開になりました。(写真5.6)

0221_05.jpg0221_06.jpg
↑写真5.6

RKHのコンセプトのひとつ“国際的に”が実現した訳で、「人生に偶然、あるいは“たまたま”はない」という持論に基けば、重なるハプニングは何か意味のある必然なのかもしれません。
 
3. 齋藤町長との再会・津波被害地区視察
町長とは4か月半振りの再会なので、1119日の「集い」の御報告やRKHのこれまでの活動について改めて御報告、町長から現状や今後についての懸案事項を伺った上で、津波被害地域を視察させていただきました。
現地は以前と変わらず、というより残っていた被災家屋の解体が進み、その分、以前目にした“そこにあったはずのあの家、この建物”が無くなりこげ茶色の更地の世界。つい最近の解体家屋からは行方不明の御遺体が発見された由。(写真7.8

0221_07.jpg 0221_08.jpg 
↑写真
7.8

一方、いまだ解体されず手つかず状態の建物も多数。たとえば昨年528日、セブンイレブン記念財団常務理事山口積恵様と御一緒した折、“あ、セブンイレブンの建物の名残り”とつぶやかれたセブンイレブンは以前ブログで御紹介した時のまま。常磐線山下駅の線路内は、雑草が生い茂っていました。(写真9.10)

0221_09.jpg 0221_10.jpg
↑写真9.10

踏切部分のみに線路(レール)は残るものの(写真11.12)その先は廃線。

0221_11.jpg0221_12.jpg
↑写真11.12

線路があった場所のすぐ横の更地で黙々と作業する方の姿が印象的でした。(写真13

0221_13.jpg
 ↑写真13
遅々として進まぬことばかりだけではなく、被災者の方々の雇用を兼ねての更地整備作業や(写真14)復活した山元町の苺(写真15)に、何か心温まる励ましを逆にいただいたような感謝の念を抱きつつ帰京いたしました。

0221_14.jpg 0221_15.jpg 
↑写真14.15

228日大槌町訪問を予定しております。

RKH責任者 堂園凉子

スポンサーサイト



2012.02.26 Sun l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
前回同様、2011年に2012年を重ねて御報告申し上げます。
 
(1)2012121日(土)神戸に行ってまいりました。
 
既に皆様が御存知のとおり、このRKHの誕生は17年前1995117日に発生した阪神淡路大震災の時に設立した「サポート神戸」の活動に由来いたします。
 
阪神淡路大震災時、私が初めて神戸東灘区保健所を訪れたのは、1995121日で、126日に「サポート神戸」の銀行口座を開設いたしました。(写真1)

p_0127_01.jpg
↑写真1


従って私にとっての阪神淡路大震災の記念日は121日であり、毎年その日神戸を訪れ、当時の保健所長石井昌生様及び課長の本田守二様と当時のことは勿論、将来に向けてのそれぞれの思いを語り合う同窓会を続けております。
 
今回はことに、昨年2011311日以降、石井様と連絡を取り、RKH設立に際しての御助言(後日掲載)があればこそ今日までの活動継続が可能となった御礼も兼ね、RKH山元町支部の女性の手作りのアクリルクリーナーと復活した清酒「浜娘」を持参。
これでRKHのポリシー「Face to Face」「Direct to Direct」に則して、これまで神戸→東京→東日本が直接に繋がりました!(写真2)

p_0127_02.jpg
 ↑写真2

 
(2)前回、“心温まるエピソードを続編で”と書きました。
      そのエピソードの数々を以下に;
 
1)大槌町赤浜地区の「赤浜の復興を考える会」がホームページを開設するに当たって、パソコン及び周辺機器購入費用をお手伝いさせていただいたことは、すでに御報告申し上げました。ホームページが出来るということを知って、中村史佳ちゃん(小学6年生)が書いた原稿がすばらしく、私共RKHのブログにも掲載許可を頂きましたので、是非御紹介させていただきます。
※(別紙原稿あり:(1)「中村史佳ちゃん原稿」)
 
2)私の友人のヒロコさんが住居模様替えにあたり、余り弾くことの無くなったピアノを被災地へ御提供くださることになり、大槌町吉里吉里の城崎彩乃ちゃん(小学4年生)のところへお嫁入り決定。東京から大槌町への運送費用は事情を御理解下さった“ピアノ運送株式会社”が被災地支援価格にして下さいました。
彩乃ちゃんからの大喜びの御手紙をお目通し下さい。
       ※(別紙の手紙、オリジナルコピーも(2)「城崎彩乃ちゃんの手紙」)
 
3)東京世田谷区在住の吉川真理衣ちゃん(小学3年生)はお年玉の一部を被災地の方々の為にと送って下さいましたので、大槌町「赤浜の復興を考える会」のPC購入費用と大槌町吉里吉里遺棄のピアノ運送費の両方に有効活用させていただきます。
※(別紙の手紙、オリジナルコピーも:(3)「吉川真理衣ちゃんの手紙」)
 
私共RKHのミッションの中に「若い世代の啓発・育成」がございます。
このように小学生世代がつながり、1119日の集いのような交流会が実現出来るのではと、秘かに願いつつ・・・

                                             堂園凉子


***
<1>中村史佳ちゃん原稿

あの日、私たちは大きな地震の後、校庭にひなんしていました。海を見ていたおばさんの「津波が来たー!!」とさけぶ声を聞いて、ふりむくと、真っ黒い波がおしよせて校庭へはうように向かって来ました。そしてとうとう私たちのいるところまで上がってきました。私たちは必死で裏山へとつながる坂をかけ上がりました。

とってもこわくてみんな泣いていました。しばらくしてお父さんにあうことができましたが、お父さんはすぐに他の人を助けに行ってしまいました。その晩は先生たちと民家にとめてもらいまいた。ローソクの光りしかないのに、時々大きな地震があってこわくてなかなかねむれませんでした。

次の日,先生が「ちょっと外の空気を吸ってこよう」と言ってみんなで外に出ました。おどろきました。
ガレキで道路はふさがれ、大きなトラックは横だおし、今まで見てきた風景はありませんでした。

お父さんの所につれていってもらい、おばあちゃんと会うことができました。3日目にはお母さんが大槌から帰ってきました。でもおじいちゃんとまーくん(おじさん)が帰ってきませんでした。

その後、赤浜小学校の体育館のひなん所で、4ヶ月の間、地域のみなさんと暮らしました。
今まで話したことのないおじさんやおばさんともお話できました。みんなとってもやさしくしてくれました。はじめは食べ物も着るものもふとんも電気も、お風呂も何もかも、不自由でしたが、地域の人たちが、助けてくれて、たくさんの方々の援助があって、だんだん生活ができるようになっていきました。

そして、やっと7月末に仮設住宅に移ることができました。学校も仮設で、4つの小学校がいっしょになりました。人数がおおくなって、また一味違う体験が出来ています。
“早くマイホームがほしい、ヒマと自由はちがう”私がつぶやいた言葉がから、た
くさんの方からはげましのお手紙やおくりものが届いてびっくりでした。知らない人たちなのにこんなに私たちのことを心配してくれるんだと、とってもうれしかったです。でも、なかなかお返事が書けなくてごめんなさい。

ホームページができることをきいたので、私も、のっけてもらうことにしました!!
“みなさん やさしさを ありがとうございます”
あれから6cm背がのびました! 
中村史佳(6)

***
<2>城崎彩乃ちゃんの手紙

ピアノをくれる方へ♪
 
 最初にもらえると聞いたとき、私はゆかがぬけるくらいはねてよろこびました。それに、おばあちゃんに「もらえるって」と大声で言ったら、おばあちゃんがうるさそうに笑っていました。

私がピアノをほしかった理由は、家のピアノが電子ピアノで、けんばんが軽くてひくのが少し、ひきにくかったからです。私は、ピアノを買ってもらうのがゆめでした。ママにも、ピアノをほしいと言っても「お金が無いから買えません」としか言ってくれませんでした。だからピアノが家にあるのがゆめでした。ピアノが家にある子がいて、その子の家がとってのうらやましいかったです。あと、家によくピアノをならいたいけど、ならえない子が来てピアノをひいています。時どきミニ発表会もやったりします。なので、本当のピアノがあればもう少し本物のピアノの発表会がみたいになるのかなぁと思いました。それに、ピアノのレッスンで先生の教室に来た時もいいなぁと思いながらひいていました。

私がピアノをも経ったら、もっと練習をがんばりたいし、ピアノがなくなってしまったお友達にも貸してあげたいです。もっと上手になって発表会でむずかしい曲をやってみたいです。それに、友達にもたくさん聞かせたいです。あと私のしょうらいのゆめは、ピアニストになることです。そのもらったピアノはピアニストになるためにたくさん練習したいです。ピアノをくれてありがとうございました。

城崎彩乃(4)

letter_ayano2.jpg

p_ayano.jpg  

***
<3>「吉川真理衣ちゃんの手紙」

りょう子先生へ
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。
(・・・中略・・・)
きょ年はできなかったことを今年は
ちょうせんしていきたいと思います。
今度お会いしてお話しできることを
楽しみにしています。
今年、たくさんお年玉をいただいたので、
こまっている人たちに使ってください。
すこしでも早くこまっている人たちが
助かりますように。
 
                       吉川真理衣(3

  letter_marie2.jpg


p_marie.jpg

2012.02.05 Sun l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top