2014年2月11日は、あの日から2年11か月。
RKHの活動は物から人へと変化しつつ、活動継続中・・・

【1】2月6日
大槌中学校の鈴木校長との共同プロジェクトで、大槌中の生徒2名と教諭2名を、自主研修目的で東京へ御招待。
2月6日はメディカルクロッシング(IMC)にお運び頂きましたので、IMC受診中の方がお作りになったピンクッションをプレゼント。手作りの品が、IMC受診の方の手から大槌の若い世代の手へと“direct to direct”で友情のクロッシングとなりました。

【2】2月10日
今年初めての山元町訪問
2月8日(土)、東京は20年振りの大雪でしたが、山元町も78年振り(?)の大雪ということで、道中はそれこそ一面銀世界。その中に“ガラスの城”とでも評したい全面ガラス張りの建物出現。(写真1,2)

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↑写真1,2

東京でIT関連の仕事に関わっていた山元町出身の青年が、津波被害にあった実家の苺農園にUターンし、GRCというNPO法人を設立。苺とトマトの栽培環境を一定化させるノウハウを開発し、“価格が高くとも、こだわりの品質”のその名も「みがきいちご」を生産、その技術はインドやアジア地域に広め、“山元町から世界へ”とグローバルでダイナミックなスケールの事業が展開されていると知り驚きました。(写真3,4,5,6,7)

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↑写真3,4

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↑写真5,6

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↑写真7

夕焼け雲の下に広がる雪原は、津波で塩害に被った土壌を全て入れ替え、仙台平野名物のひとめぼれ等、宮城米の稲作用耕地の由。(写真8)

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↑写真8

着々と進む復興現場の視察を終え、臨時「3.11を共有し、語り合い、友情を深める会」を開催。(写真9)
「2011年4月15日、山元町を私が初めて訪れた時は“どこから手をつけるのだろう、一体この町は再生するのであろうか”と絶望感すら抱きましたが、今回の訪問で、着々と確実にしかも(上述したように)ダイナミックでグローバルに世界へ向けての復興が可能となっているのは、齋藤町長以下、平田課長や職員の皆様の御尽力、及びRKH山元町支部の町民の方々の熱意の賜物」と感想を述べさせていただきました。

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↑写真9

次回はどんな変化や進展あるのかと、今後の訪問が楽しみです。


【3】1月の会計報告(1月31日現在)

・振込件数:9件(複数回の方々、お年玉のお福分け、チャリティーコンサートの収益金の中から等々)

・支出
  大槌町プロジェクト経費(持参分) 170,000円
  岩手県三陸復興組合仮設事務所リース代 36,382円

・口座残高  275,426円




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2014.02.17 Mon l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top