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前回同様、2011年に2012年を重ねて御報告申し上げます。
 
(1)2012121日(土)神戸に行ってまいりました。
 
既に皆様が御存知のとおり、このRKHの誕生は17年前1995117日に発生した阪神淡路大震災の時に設立した「サポート神戸」の活動に由来いたします。
 
阪神淡路大震災時、私が初めて神戸東灘区保健所を訪れたのは、1995121日で、126日に「サポート神戸」の銀行口座を開設いたしました。(写真1)

p_0127_01.jpg
↑写真1


従って私にとっての阪神淡路大震災の記念日は121日であり、毎年その日神戸を訪れ、当時の保健所長石井昌生様及び課長の本田守二様と当時のことは勿論、将来に向けてのそれぞれの思いを語り合う同窓会を続けております。
 
今回はことに、昨年2011311日以降、石井様と連絡を取り、RKH設立に際しての御助言(後日掲載)があればこそ今日までの活動継続が可能となった御礼も兼ね、RKH山元町支部の女性の手作りのアクリルクリーナーと復活した清酒「浜娘」を持参。
これでRKHのポリシー「Face to Face」「Direct to Direct」に則して、これまで神戸→東京→東日本が直接に繋がりました!(写真2)

p_0127_02.jpg
 ↑写真2

 
(2)前回、“心温まるエピソードを続編で”と書きました。
      そのエピソードの数々を以下に;
 
1)大槌町赤浜地区の「赤浜の復興を考える会」がホームページを開設するに当たって、パソコン及び周辺機器購入費用をお手伝いさせていただいたことは、すでに御報告申し上げました。ホームページが出来るということを知って、中村史佳ちゃん(小学6年生)が書いた原稿がすばらしく、私共RKHのブログにも掲載許可を頂きましたので、是非御紹介させていただきます。
※(別紙原稿あり:(1)「中村史佳ちゃん原稿」)
 
2)私の友人のヒロコさんが住居模様替えにあたり、余り弾くことの無くなったピアノを被災地へ御提供くださることになり、大槌町吉里吉里の城崎彩乃ちゃん(小学4年生)のところへお嫁入り決定。東京から大槌町への運送費用は事情を御理解下さった“ピアノ運送株式会社”が被災地支援価格にして下さいました。
彩乃ちゃんからの大喜びの御手紙をお目通し下さい。
       ※(別紙の手紙、オリジナルコピーも(2)「城崎彩乃ちゃんの手紙」)
 
3)東京世田谷区在住の吉川真理衣ちゃん(小学3年生)はお年玉の一部を被災地の方々の為にと送って下さいましたので、大槌町「赤浜の復興を考える会」のPC購入費用と大槌町吉里吉里遺棄のピアノ運送費の両方に有効活用させていただきます。
※(別紙の手紙、オリジナルコピーも:(3)「吉川真理衣ちゃんの手紙」)
 
私共RKHのミッションの中に「若い世代の啓発・育成」がございます。
このように小学生世代がつながり、1119日の集いのような交流会が実現出来るのではと、秘かに願いつつ・・・

                                             堂園凉子


***
<1>中村史佳ちゃん原稿

あの日、私たちは大きな地震の後、校庭にひなんしていました。海を見ていたおばさんの「津波が来たー!!」とさけぶ声を聞いて、ふりむくと、真っ黒い波がおしよせて校庭へはうように向かって来ました。そしてとうとう私たちのいるところまで上がってきました。私たちは必死で裏山へとつながる坂をかけ上がりました。

とってもこわくてみんな泣いていました。しばらくしてお父さんにあうことができましたが、お父さんはすぐに他の人を助けに行ってしまいました。その晩は先生たちと民家にとめてもらいまいた。ローソクの光りしかないのに、時々大きな地震があってこわくてなかなかねむれませんでした。

次の日,先生が「ちょっと外の空気を吸ってこよう」と言ってみんなで外に出ました。おどろきました。
ガレキで道路はふさがれ、大きなトラックは横だおし、今まで見てきた風景はありませんでした。

お父さんの所につれていってもらい、おばあちゃんと会うことができました。3日目にはお母さんが大槌から帰ってきました。でもおじいちゃんとまーくん(おじさん)が帰ってきませんでした。

その後、赤浜小学校の体育館のひなん所で、4ヶ月の間、地域のみなさんと暮らしました。
今まで話したことのないおじさんやおばさんともお話できました。みんなとってもやさしくしてくれました。はじめは食べ物も着るものもふとんも電気も、お風呂も何もかも、不自由でしたが、地域の人たちが、助けてくれて、たくさんの方々の援助があって、だんだん生活ができるようになっていきました。

そして、やっと7月末に仮設住宅に移ることができました。学校も仮設で、4つの小学校がいっしょになりました。人数がおおくなって、また一味違う体験が出来ています。
“早くマイホームがほしい、ヒマと自由はちがう”私がつぶやいた言葉がから、た
くさんの方からはげましのお手紙やおくりものが届いてびっくりでした。知らない人たちなのにこんなに私たちのことを心配してくれるんだと、とってもうれしかったです。でも、なかなかお返事が書けなくてごめんなさい。

ホームページができることをきいたので、私も、のっけてもらうことにしました!!
“みなさん やさしさを ありがとうございます”
あれから6cm背がのびました! 
中村史佳(6)

***
<2>城崎彩乃ちゃんの手紙

ピアノをくれる方へ♪
 
 最初にもらえると聞いたとき、私はゆかがぬけるくらいはねてよろこびました。それに、おばあちゃんに「もらえるって」と大声で言ったら、おばあちゃんがうるさそうに笑っていました。

私がピアノをほしかった理由は、家のピアノが電子ピアノで、けんばんが軽くてひくのが少し、ひきにくかったからです。私は、ピアノを買ってもらうのがゆめでした。ママにも、ピアノをほしいと言っても「お金が無いから買えません」としか言ってくれませんでした。だからピアノが家にあるのがゆめでした。ピアノが家にある子がいて、その子の家がとってのうらやましいかったです。あと、家によくピアノをならいたいけど、ならえない子が来てピアノをひいています。時どきミニ発表会もやったりします。なので、本当のピアノがあればもう少し本物のピアノの発表会がみたいになるのかなぁと思いました。それに、ピアノのレッスンで先生の教室に来た時もいいなぁと思いながらひいていました。

私がピアノをも経ったら、もっと練習をがんばりたいし、ピアノがなくなってしまったお友達にも貸してあげたいです。もっと上手になって発表会でむずかしい曲をやってみたいです。それに、友達にもたくさん聞かせたいです。あと私のしょうらいのゆめは、ピアニストになることです。そのもらったピアノはピアニストになるためにたくさん練習したいです。ピアノをくれてありがとうございました。

城崎彩乃(4)

letter_ayano2.jpg

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***
<3>「吉川真理衣ちゃんの手紙」

りょう子先生へ
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。
(・・・中略・・・)
きょ年はできなかったことを今年は
ちょうせんしていきたいと思います。
今度お会いしてお話しできることを
楽しみにしています。
今年、たくさんお年玉をいただいたので、
こまっている人たちに使ってください。
すこしでも早くこまっている人たちが
助かりますように。
 
                       吉川真理衣(3

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2012.02.05 Sun l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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